バッハ没後250年を記念して、中世の面影が漂う英国・ヨーク市内の大学で、7月20日に、西垣正信先生の異色のコンサートが開催された。
会場は、リポン&ヨーク・セント・ジョン・カレッジ(英国国立リーズ大学のひとつのカレッジ)のチャペルで、開演時間は、祭壇に夕陽が射し
かかる7時30分。
大学では、このコンサートを今年度の公開講座の一環として位置づけ、バッハのリュートのための作品群について先生の解説をいただき、
演奏後には、参加者の交流会に加わって頂くと言う、勝手なお願いをしてしまった。ランパル追悼演奏会、プロバンス各地やロンドンでの
コンサートの後で、お疲れに違いなかったのに、先生は最後まで気さくに付き合って下さった。
より多くの参加者に満足してもらうため、演奏曲目の各々について、演奏家としての視点を西垣先生に英文で書いて頂き、
それに基づいて、大学のパフォーミング・アーツ(音楽・演劇・ダンス・テレビ・映画研究)学部長のマリリン・デービスが解説内容を草稿した。
このドラフトを、両者が確認し、補筆・修正を加えて、演奏会直前に、解説内容を最終的に決定した。
演奏に使用されるギターが、200年近く前ににフランスで製作された物であることが、デービス女史によって紹介された。
チャペルの静寂の中に、溜め息が流れた。フランス革命を想起した人もいたであろう。先生のご紹介、
バッハについての一般的解説に続いて、「リュートのための小前奏曲」が解説された。
「中間の固執低音にからみとられる和声が深い森に漏れさす光と影を表現」などの演奏家の視点は、それ自体、
参加者の琴線に触れるものであった。プレリュードの演奏後、「リュート組曲第一番」の解説が行われ、
その演奏後に、「リュート組曲第二番」の解説といった具合に、各曲目の直前に解説を入れた。
演奏会前の私のある種の不安、ギターによるバッハだけのコンサートが聴衆に受け入れられるか否かは、
インター・ミッションの時に完全に消失した。第二番の演奏が終わった後、聴衆はその興奮をチャペル内
に閉じ込めておくことが出来なかった。チャペルを出て、キャンパスの中庭で誰かれとなく、感動を分かち合っている。
不思議な連帯感がみなぎっている。熱気が伝わってくる。緑豊かな芝生が黄金色に輝く。
西垣先生の演奏は、プロを含む聴衆の期待に応えたのみでなく、期待を完全に超越した。
後半に予定されている、「リュート組曲第三番」と「シャコンヌ」が、たとえ、
どんな風に終わっても、このコンサートは大成功といった雰囲気だった。
この時点で、皆がすでに度肝を抜かれていた。
プログラムが終了した。アンコールを求める拍手が、チャペルの石壁にこだまして、耳が痛い。
音が熱波に変わる。そんな雰囲気を沈静させるかのごとく、西垣先生は、「赤とんぼ」を弾いて下さった。
西洋から日本へ、動から静への流れは、暮れそうで暮れない北ヨークシャーの夏の夕べのように、
皆の心に静かに浸透していったであろう。そんな空間に赤とんぼが舞うのを見たのは、私だけではあるまい。
その後、私たちは、先生を囲んで一時を過ごす好機をいただいた。カレッジの学長や国際教育部長のような内部関係者に混じって、
ロンドンから駆けつけた音楽愛好家、オックスフォード大学で音楽を専攻している学生、地元ヨーク市の音楽教師、日本人留学生、
退職後の夫婦と、文字通り、老若男女がワインを片手に先生を取り巻いた。
「ギターという楽器で、こんなにすごい事が出来るとは知らなかった」といった素朴な驚きもあれば、
「コンサートにはいつも行くが、こんなに難しいプログラムを完璧にこなしたギターリストに会った事はない」といった声も聞かれた。
次回の開催を求める声、日本文化の再評価の声に混じって、デービス女史のコメントが私をとらえた。
「今までに、一流の国際クラスの演奏家には多く会ってきた。しかし、Masanobuは多くの演奏家と違っている。
音楽がすばらしいだけでなく、人間が根本的に違うね。」
異色のコンサートと西垣先生のお人柄を、集約する一言であった。